1歳おめでとう、そしてまさかの年度途中で保育園入園!!
一歳おめでとう!
生まれてきてくれて本当にありがとう!
あの壮絶な出産から1年経つなんて信じられない。。
怒涛の育児は、異なるフェーズで異なる難題が出現し、その度に1つ1つクリアしていってはまた転び…の繰り返しでした。
娘は少しずつ歩き始め、今では10歩くらいは方向転換を加えながらテクテクできるようになりました!
毎日少しずつ歩く歩数が増えていて、私も頑張らねばと思う次第です。
さて、
一歳になる
=育休手当が終わる
=保育園に受かった場合は仕事を再開しなければいけない(保育園に落ちた場合は育休延長できる)
という世の中の構図がありますが、
私もこの公式にのっとり、まずは保育園の申し込みをしました。
子育ての街藤沢では、1歳での入園は勿論のこと、年度途中での入園はかなり激戦で難しいとされています。
私が希望した園も、認可保育園でかなり環境が良いところだったので、まぁ年度途中だしどうせ入れないだろう…と思ってました。
すると…
なんと!またもや入園出来てしまいました!😭💦4月に退園させたところもあるので2度目の内定!!
内定結果が来たのが7月末。
入園は8月1日からなので、もう始まるじゃん…!泣
ということは、私は9月から仕事再開だー!!😭
慣らし保育が始まると今までの娘と24時間2人っきり…という生活スタイルとは全く異なるものになるわけで、母親世代には
「まだ一歳なのにかわいそう…3歳くらいまでは一緒に居てあげた方がいいのでは?」
と言われ続けました。
しかし今度は退園してしまうと育休手当も貰えなくなるわけで、そうなると無給になってしまう、オムツ買えない…
というのは本末転倒。
色んな複雑な想いを抱えながら、我々夫婦は8月1日から登園をさせました。
最初は慣らし保育といっても、丸一日預かってくれる訳ではないので、1日1時間から始まります。
そのあと、2時間、午前中のおやつまで、お昼ご飯食べ終わったところまで、午後のお昼寝が終わってから…
と時間がどんどん伸びていきます。
最初はお友達に囲まれて、新しいおもちゃに夢中で、楽しそうに喜んでいた娘氏。
しかし3日もすると、
あれ?なんでお母ちゃん居なくなるの?寂しいよー行かないでーー!!!
とギャン泣き。
こちらも心を鬼にして、担任の先生に明るく
よろしくお願いします!
と預けるのですが、保育園を去ってカフェに行った私は思わず涙。。。。
ごめんよーーー
でもきっと楽しい場所になるからね!!
お母ちゃんも頑張るから…🥺💦💦💦💦
と心に誓うのでした。
自分の好きな時間が出来ると、
どうしてもソワソワしてしまうのはきっと私だけではないはず。
今回、育休の終わり、年度途中の保育園内定というタイミングでやむを得ない事情で預けることになりましたが、
もっと働く母親とその子供が、ベビーシッターなどの方法以外で、好きなタイミングで気軽に預かってもらえるような制度や環境があればいいのになぁ…
と痛感しました。
果たして8月中に夕方まで預かってもらえるようになるのかどうか…!?!?
娘ちゃん!頑張ってるけどもう少し頑張って!!!
Vol.12 脱ねんミル!救世主ストロー現る!
間も無く一歳を迎えようとしています!
1年ってあっという間…そして去年の今日が出産予定日だった!(7月21日)
いつ出てくるか…破水か陣痛かどっちが先だ…なんてソワソワして過ごしていた日々が懐かしい。。
↑焼肉を食べると陣痛が来る!というジンクスを信じて直前は焼肉通いしていた…笑。
そんなことをしても意味はなかったが。。泣
前回の記事で、保育園を止むを得ず辞退したことをお伝えしましたが、タイトルにある通り、
実はあれから娘はとーっても育てやすくなりました涙。。
それは…生後3ヶ月からずーっと頭を悩ませていた、寝落ちしないとミルク飲まない問題が解決したからです!😂💦💦💦💦💦💦
いやぁ…長かった…辛かったぜ。。
多い時は一日8回寝かしつけをして、毎回1時間以上かかってミルクを飲ませる日々。。
生後8ヶ月を過ぎた頃から、離乳食が一日3回になり、私たち家族は、
ミルクの回数を減らす<ご飯の量を多くする
を常に意識しなければならなくなりました。
ご飯を沢山食べて欲しい!けど、そこまで毎食食べる訳でなく総量がなかなか増えない
→まだまだミルクからの栄養も大事だから、引き続きミルクはなんとか頑張って沢山飲んで欲しい
→ねんミル頑張る
→お腹いっぱいだから離乳食食べない…
→またミルクでカバーする…
離乳をするための食事のはずなのに、
ミルクを飲んで欲しいから離乳食よりもねんミル頑張る
という負のサイクルが1ヶ月くらい続きました。
もちろん、食事の後に足りない分をミルクで補足するので、散々食べ散らかした後に布団に連れて行って寝かしつけを開始してミルクを飲ませる…という超ハードスケジュール。
あー、離乳食うまくいかないし、
一日3回ご飯作ってあげてぐちゃぐちゃにされて、そのあと寝かしつけしてミルク飲ませるなんて…私の一日食べさせて飲ませて終わってるわ。。と、事態は深刻でした。。。
↑いっぱい食べてるの図。
全然食べません!!!泣
そんな状況を救ってくれたのがストローでした!
それはママ友からのアドバイスで、
「うちはミルクこれで飲ませてるよー、ぐびぐび上手に飲むよー」とのこと。
ふむふむ、今まで哺乳瓶でミルクを飲ませてきて起きてると全く飲まなかった娘。
スプーンでもコップでもスポイトでもダメ。
乳首やミルクを温め直してもダメ。
そんな頑なにミルクを拒否してきた娘が、
ストローでミルク飲み始めたら今までの苦労はなんだったのだろう…まぁ、ダメ元で試してみるか。
そんな諦めモードで私はAmazonの購入ボタンをポチりました。
←リッチェルのいきなりストローという商品
次の日早速商品が届き、ダメ元でミルクを作り、ダメ元でストローで飲ませました。
すると、、、
めっちゃグビグビ飲むやんっ!!!!!
すごーい!!!起きて目を開けてミルク飲んでる!!!やったー!ねんミル卒業!!!!
この日から娘は起きて自分の意識がある状態でミルクを飲めるようになりました。
本当に私たち家族を救ってくれてありがとうよ、、、ストローすごいぜ。。
これにもっと早く出会えてたら、せっかく入れた保育園も辞めずにすんだのかな。。。
などなど、色んな後悔や感動もあり、
ストローでミルクを飲ませるというまさかの展開に驚きっぱなしでした。
うちの子ミルクを飲まない…
という相談や悩みは本当に多いと思います。
その時に色んなアドバイスを受けて、たくさんトライアンドエラーを繰り返して何をやってもダメで辛い日々だったのですが、
ぜひ同じ状況の人がもしいたら、私は是非ストローの練習を早め早めに開始することをお勧めします。コップやスプーンやスポイトなどではなく。。。
生後10ヶ月までこの状況が続いたので、
もうこのねんミル以上に大変なことはありません!
1つまた進歩した娘に拍手!
そしてこうしてまた大人の親に育ててもらったことに感謝!
Vol. 11 お久々過ぎる投稿…あっという間に生後9ヶ月半!そして保育園退園?!
こんにちは、かなりお久々です。
大分更新が止まってしまっていましたが、
すっかり初夏になり、2019年ももう少しで折り返し地点…
そろそろ綴ろうと思います。
さて、娘はあっという間に生後9ヶ月半になり、ハイハイ・1人座り・つかまり立ちなどもできるようになり、離乳食もなんとか1日2〜3回オエオエ言いながら進めてまいりました!
歩行器が大好きで自由自在に好きな場所へ行き、何か遊べるものはないか探し出し、なんでも口に入れてしまいます…
次はどんな悪さをしてるか楽しみで仕方ありません。笑
最近は紙を見つけてヤギのようにムシャムシャ…あー!ダメダメー!の繰り返し。
ここ数ヶ月で色んな成長を遂げた娘。
保育園も無事に0歳で入園することが出来ました!しかも第1希望の、自宅前徒歩1分&新設でめちゃキレイ!なところ(^^)
よーし!新生活娘と一緒に頑張るぞ〜
と張り切っていましたが、タイトルにある通り
実は退園してしまいました…しかも慣らし保育開始1週間後に。。。
理由は結論、娘にも私にも集団生活が早過ぎた、ということです。
基本的に集団生活とは、遅れている者が早く進んでいる者に追い付け追い越せ、ということが求められます。これは保育園であろうが小学校であろうが、一度社会に出るとそのような原理が働くと思います。
保育園だし、まだ0歳だし、一人一人に寄り添ってくれるだろうなぁ〜
ミルクも起きて飲めるようになるかなぁ…(未だに寝落ちしないとミルクを飲みません)
なんて淡い期待を寄せていましたが、もう現場は戦場。
6人の0歳児を2人で面倒を見るというカオス。
割とニコニコしておとなしい娘は後回しになり、寝落ちしないとミルクを飲まないし、どんどん後回しに、、、
電気も煌々と点いており、ギャン泣きしてるお友達を横に寝落ちできるわけも無く、
かわいそうな日々が続いてしまったので、
もう辞めさせてしまいました。。。
1歳児クラスは激戦だから0歳児で入れたい!
と思い、自宅目の前の新設保育園というめちゃ好条件が揃ったのにも関わらず、
辞めてしまったことに対して義両親からは多少クレームが入りました。。
が、やはり本人がストレスになって沢山の負担になることは避けたいし、保育園にいれることが最善だとも思わないので、
育休を取得できる間は、職場の皆様のご協力とご理解もあり、ゆっくり手をかけてあげようと決めたのです(^^)
というわけで、引き続きワンオペ育児が続いております!(^^)
世の中のワンオペママの皆さん、頑張りすぎず息抜きしながらやりましょう〜
↑
めちゃ食べてる風な写真。一口しか食べてません!笑
Vol.10 今年を振り返って~妊娠・出産を経た自分の心と体の変化②~
はい、ついにやってきてしまいました大晦日。
今年もあっという間でしたね。
年末のスペシャル番組を見る余裕もなく、物思いにふける時間もなく、
この日を迎えてしまいました。
頑張って今年最後のブログは更新しようと思います。
さて、前回は妊娠・出産を経ての心の変化について書きました。
今日は体の変化について書こうと思います(が、あくまでも個人の体験談なので、
一概にこのような変化が起こるとは言えませんので、ご注意を。。。)
身体と言っても色々ありますので、分かりやすく部位?ごとに、
上から色々説明していこうと思います。
①頭→髪の毛…が産後3か月くらいから死ぬほど抜けました。
本当にはげるんじゃないか?っていうくらい抜けまくって、毛の質もなんというか、
猫っ毛のようなとても細い髪質に変化しました。なのでお風呂の排水溝は一瞬で詰まります。。
②肌→これはあくまでも私の場合ですが、肌がきれいになった気がします。
多分化粧をする暇も余裕もなくなるから肌に優しいっていうのもあると思いますが、
妊娠中から肌荒れして顔がぼこぼこになるとか、吹き出物ができるとか、
そういったことが減ったように思います(食べ物に気を遣っているというのも大きいかも…)
③胸→これは変化の中でも最も劇的だったかもしれない!!!!
妊娠中は毎日お風呂の後、出産後母乳がよく出るようにということで、
おっぱいマッサージをめちゃしてました。だからなのか、子供を産んだ後からすぐ
母乳が滴るくらい出が良くて、搾乳しないとおっぱいがすごく硬くなって痛いくらい。
「あら~、これは粉ミルクは必要ないくらい分泌がいいわね~」と看護婦さんに言われまくって調子に乗ってました。
「いや~、妊娠期頑張ったからなぁ自分」と思っていたのもつかの間、
生後2か月になった途端パタリと私の母乳は出が悪くなりました。
理由は月の巡りが再開してしまったこと。。。。
味が変わるとも言われていて、娘があまり吸い付かなくなってきたのもこの頃。
全然飲む量足りていないということで、粉ミルクに切り替えたものの、
吸ってもらわないとどんどん出は悪くなるので、期待していた母乳はあっという間に過去の存在へ…(今もすこ~しだけ出ます)
面白いですよね。役目を終えたと勘違いするのかおっぱいはどんどん小さくなり、
「はい、粉ミルクさん頑張ってね」のようにバトンパスされたのでした…。
④お腹→お腹がどんどん大きくなると、妊娠線ができるようになります。
これはクリームとかで保湿をしまくっていれば防げるみたいですが、
私は毎日欠かさずケアをしていたにも関わらず、がっつり妊娠線ができました。
一度できるとなかなか消えないこの紫色の線たち。。
もう水着を着たりはしばらくできませんね。。。
本当に妊娠9か月くらいからでき始めて油断してました。
⑤足→妊娠中はめっちゃくっちゃ足がむくんで、もう大変でした。。。。
パンパンになるから、靴のサイズも全然違ってくるし、血の巡りが悪い感じがいつもしてました。
子供を産んでからは不思議と足のむくみは解消されていきました。
その他、まず体重についてですが、大体妊娠を経て増えてもいい体重っていうのが、
約8~13キロくらいと言われています。
が、食事とかいろいろ気遣っていても、本当にあっという間に太るんですよね~
私は結局トータルで14キロ近く太ってしまい、着ていた服も靴も結構色々着たり
履いたりすることができなくなってしまいました。。
そして子供を産んで8キロほどは痩せたものの、
産後はおっぱいを出すから食べても食べても全てがもっていかれる感じで、
お腹がすぐ空くんです。だから、米2合程・パスタという相撲部屋の弟子のように、
炭水化物を食べまくっていました。あとは産後のストレスで過食みたいになってしまって、全ての鬱憤を食で解消する、みたいなことをやっていました。
おかげて妊娠中の体重に一瞬で戻ってしまい、どんどんぶくぶくしてしまいました。。。(産後痩せてる身体をキープしているお母さんももちろんいるよ!尊敬!)
あとは情緒不安定になるというか、涙もろくなるというか、
気分の波がとても激しくなった気もします。
特に喜怒哀楽の「怒」が顕著で、育児で溜まったストレスや何か気にくわないことがあると、いつも旦那に怒りまくってしまいます。
これは最初のほうでもご紹介した、オキシトシンという成分が、
「子供に対しての愛情ホルモン」でもあり、「子供を守るための攻撃ホルモン」
でもあることからきていると、、、信じたい。。。
(旦那さん今年はたくさん罵声を浴びせてしまってごめんね)
以上、体の変化でございました。
でも、色んな変化がありましたが、
一番の変化は、女性から母ちゃんに変わっていく自分(要は、外見とかおしゃれとか、そういう着飾ることに対して少し無頓着?)を全然ストレスに思わないこと、かな。
なんだろう、小さいことでくよくよしたり、うじうじしたり、
何かやることに対しての恥ずかしさとか、そういう「恥」の感情が前よりも
本当になくなってきた気がする…笑
母になったことで、前よりも堂々としている自分がいる気がします。
沢山大変なことはあるし、いろんなものを失うことになるかもしれない、
犠牲にすることもたくさんある。
だけど、幸せな瞬間が積み重なって、どーんと強くたくましく、
なんでもかかってこい!という気持ちにさせてくれるのは、
きっと娘がいるおかげなんだろうなぁ。
誰かが、育児は赤字経営のことも多いけど、
いつか黒字経営に転換する時がくるから、って言ってたな。
私も少しずつ、育児の黒字部分を味わえるようになってきてる気がします。
来年の1歳になる頃どんな娘・自分・家族関係になっているのかが、
今から本当に楽しみ!
今年も本当にありがとうございました!
Vol.9 今年を振り返って~妊娠・出産を経た自分の心と体の変化①~
間もなく2018年も終わろうとしている今、
私は
「きっと世の中は最終営業日でとても多忙で、明日からの年末年始休暇をワクワクして
待ち焦がれているんだろうなぁ~」
と思いながら、ミルクを飲みおわった娘を寝かしつけている。
変わらぬ毎日で平穏な日々。
とっくの昔に曜日の感覚はなくなってきて、
今頃になってやっと「そろそろ2018年色々と振り返っておこうかな」
と少し焦ったりもしている。
☝写真はお宮参りでガン寝した後、最後の最後で起きた時のショットw
今年1年を漢字一文字で表すのなら「変」である。
重いつわりと共に始まった2018年。
娘が生まれてくるのなんてまだまだだろうなぁと正月のんびりする暇もなく、
物件探しは60軒を超え毎週末のように見学をしては良い家と巡り合えず落ち込む日々。
2月からは妊娠中期に入り悪阻も落ち着いてきたため職場復帰。
しかし3月から再び具合が悪くなり始め、後期つわりと戦いながら出勤した。
通勤がしんどすぎて(当時住んでいたのは戸塚の汲沢というところで、
最寄り駅が「踊場(横浜市営地下鉄ブルーライン)」という超マイナー駅。
そこから歩いて20分※妊娠中は体が重くて30~40分かけてた。結局ドアドアで勤務地のGINZA SIXまで約2時間。。)、途中からは出社もできなくなって、
在宅で仕事をさせてもらうことが多くなった。
何度も何度も途中駅で降りて気持ち悪くてベンチで横になる、というのを繰り返しただろうか…。酔っぱらって死んでるオッサンみたいだった。
物件探しはGWに差し掛かりそろそろ決めないとヤバいという状況に。
(中古マンションの購入だったため、リノベーション工事+ローン手続きを含めると、出産予定日を超過してしまう…今の家・住環境では絶対育てられないという焦り)
そんな時、藤沢という素敵な街と出会い(旦那の職場が平塚で私が銀座だから、
横浜あたりに本当はしたかったのだが…)、富士山が見えて温泉もプールもついていて
目の前は公園で…という、とても良い住環境物件と最後の最後で出会い即決。
あ~決まって良かった、と安堵する暇もなく、今度はローン地獄。
(これから家を購入しようとする皆さん、ペアローンを組む際、特に女性は「産休育休」と分かった瞬間にどこの銀行も断ってきます。。私も8社くらいローン審査落ちました。早め早めに家を決めてローン審査進めて下さい本当に。。)
結局後期つわりは5月末の最終出社日まで続き、最終日は頑張って朝から出社してお昼前に会社の救護室でぶっ倒れるという始末。職場の皆さんが理解のある方々で、
本当に自分は恵まれていたなと感謝。
6月から晴れて産休に。そして猛烈に暑すぎる夏があっという間にやってきて、
安産のためにもお散歩しましょう1時間くらい、と産院に言われ、
「こんな暑い中1時間も歩いたら死ぬわ!!!!!!!!」と思いながら、
でっかい腹を抱えてなんとか歩いて、スクワットもして、雑巾がけもして、
いつ生まれてくるかな赤ちゃんよ、今はお散歩中だからやめておくれよ
と願っていた。
そして7月21日。予定日なのになーんにもない。
オロナミンC飲むと陣痛くるってよ
焼肉食べると陣痛くるらしい
そんなアホみたいなジンクスも心から信じて試したけど、一向に生まれる気配なし。
破水もなければ陣痛もない。これはきっと今住んでる家に来たくないんだな(引っ越しが8月4日、娘が生まれたのは結局その前日で8月3日でした…汗。41W6日という、
超ギリギリまでお腹の中にいた我が子でした)と途中からは諦めて、結局計画分娩へ。
生まれてくるまでは1日1日が本当に長くて、あー早く娘に会いたい!
と思っていたけど、生まれてからは毎日が本当に戦争のようで、
まだ歳も27歳(というきっと一般的にはピチピチのOLという女性の黄金期ではないかと思うんだが)で、もう自分は疲れ切ったババア感がすごくて、
気付いたら夏が終わり、やっと外出ができるようになって子育て楽しくなってきた秋が一瞬で終わり、このままの状態だと平和ボケして世の中から疎外されてる気分だな、
と危機感すら感じている年末。
妊娠出産を経て、母親になって、
自分もこんなふうに親に大事に大事に育てられてきたんだなと、
親の偉大さを知ったし、子供を一人前にするって本当に大変なことなんだな、と思う。
子供を育てることで、自分の未熟さも知ったし、知らないことが当たり前で、
こんなちっちゃな娘が私を一人の人間として、女性として、大きく育ててくれる。
社会人になって、目の前の日々を過ごすことに精一杯だったけど、
家庭を持つことで改めて、自分の生き方や在り方を、もう一回じっくり考えなおしたいなと強く思うようになった。
それは、自分の背中を子供に見せたいと思うからであって、
子供にとっての知的好奇心が自分でありたいと思うから。
来年は自分の心に正直に、娘と一緒に色んなことに挑戦をしていきたいと思っている。
2019年を振り返ったときに「挑」を1年の漢字に選べるようにしたいな。
さてさて、タイトルにある通り、心と体の変化を書くんでした。
心の変化はうまく「●→▲になりました!」と言えないから、
今まで書いてきたことで大丈夫かな。。。
身体の変化がもうあり過ぎて本当に泣きたい!!!!!!!!
から、また次回でゆっくり書くとしよう。
Vol.8 生後100日経過。一進一退、新生児に逆戻り?!
こんにちは。
かなり更新をさぼってしまいました。すっかり冬モードに突入ですね…(>_<)
さて娘は11月頭に生後3ヶ月を迎え、色んなこと中できるようになりました。
例えば、首が座ったり、手が発達して色んなものを掴んだり引っ張ったりして遊べるようになりました。
眠い時は今までは抱っこやおっぱいを求めてとにかく泣いていましたが、1人で指をおしゃぶりして静かに寝てくれるようになったりと、
かなり大人な成長に母ちゃんは嬉しさでいっぱいだよー!
しかーし、幸せな時間も束の間、疲労困憊で寝不足な日々を再び迎えることになるとは…
実は前回取り上げた「哺乳瓶拒絶問題」ですが、授乳間隔を4時間以上であけてみたところグビグビ飲むようになりました!
とお伝えしていましたが、ちょうど生後100日頃からまた悪夢が始まってしまったのです。。
哺乳瓶を近づけるだけでギャン泣き、
お腹は空いてるのにミルクを受け付けない。
私は生後2ヶ月で月の巡りが再開してしまったから、なかなか母乳量が増えず減る一方。
おっぱいを吸ってもちょっとしか出ない母乳。
ミルクを足そうとするが哺乳瓶を受け付けず、手で払い避ける始末。。
こんな攻防が1時間続くのは当たり前。
どうして昨日までちゃんと飲めていたのに?!
私はパニックとイライラと不安で精神的にかなり参ってしまい、泣き叫ぶ娘に対して嫌気がさし、全てを放置しました。。
もう知らない!!飲まないのね!わかった!
お腹空いて脱水症状になっても知らないから!
と生後3ヶ月の娘に大きな声を出して泣きわめく始末。
ひどい時は10時間以上授乳時間が空いて、空腹に耐え切れず、泣き疲れて、やっとこさ100ミリ飲む…という状況。
こんな状態が2週間続きました…もうどうしたらいいのやら。。
困った挙句また色々試してみました、まずは乳首の交換。そしてミルクを温め直す。揺らしながら飲ませるなどなど。。。
しかし答えはとてもシンプルでした。
おっぱいが好きで混合で育てていた娘。
母乳不足という私の一方的な理由で、ほぼ完ミ状態になり、おっぱいと哺乳瓶の違いをしっかり覚えてしまってました。
なので、起きていて意識がしっかりあると、別物であることを認識するので拒絶します。
だから一旦寝かせてから飲ませることにしました。
お腹が減る→グズル→おっぱい少し飲ませる→落ち着いたらおしゃぶりを一旦咥えさせる※これがとても重要!→そーっとおしゃぶりを抜く→そーっと哺乳瓶を入れる→完全に寝てることが多いから哺乳瓶をグリグリ
はい
この一連の動作をやります。もう大変!
だけど、このやり方でほぼ100パー飲むようになりました!
あとうちの娘氏は食が細いのか、身体はデカイくせに全然飲む量が少ないのです。
推奨は1日800〜1000ミリ、しかしうちの娘はよくて500くらい。
こりゃなんとかせねばと思い地域の保健センターで相談。
今まで苦労してきたことを赤裸々に保健センターの助産師さんに話すと思わず涙がポロポロ出てきてしんどかった。。
そして助産師さんから言われたのは、
「間間でおっぱいをあげてない?間隔を4時間じゃなくて3時間に戻して、本人がグズルようなら2.5時間でもいいから、とにかく直接おっぱいはあまり吸わせないで、この子の場合は哺乳瓶でミルクを1日少なくとも800は飲ませるようにしましょう。頻回で大変だけど、飲む量が増えてくれば一度に飲める量も増えるから!あとはまだ母乳も出るから搾乳して母乳の出を止めないようにしよう。」
スーッと心が救われました。
今まで母乳で育てることがいいことだと自分でも思ってたし、最初は母乳の出もとてもよかったからこんなことになると思ってなかった。
だから完ミになることが悲しくて娘に申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、大事なのはきちんと娘が大きくなること。
それをわかってくれた上でのアドバイスだったから、とてもホッとして私は涙がこぼれました。。
と感動していたのも束の間、2.5〜3時間授乳って、新生児の頃と一緒やん!
と寝不足な日々が再び始まったのでした…
こんな状況が早くも1ヶ月続いてますが、なんとか生後4ヶ月になる頃には1日700〜800くらいまで飲めるようになりました。
起きてると飲まないから、本人が眠くなるように日中はあまりお昼寝たっぷりさせないようにしてます。そうするとちょうど3時間後くらいに疲れて眠くなって指を吸ってるのです。
今回のことを通して思ったことは、
子育ては一進一退だなぁということ。
でも確実に色んなことができるようになっていて、親の思い通りにいかないのは本人の意思や欲求があるから。
何か壁にぶつかることで、どうにかせにゃいかんと工夫を凝らして乗り越えていく
そんなことの繰り返しが自分の経験値もあげていくな、と思ってる今日この頃です。
Vol.7 哺乳瓶嫌いかと思いきや…
あっという間に寒くなり、部屋からは雪を被った富士山が綺麗に見える季節になりました。
前回の投稿で粉ミルクを断固拒否している件を書きましたが、今回は格闘の末、再びぐびぐび飲むようになったよ!というお話になります(^^)
まず前提として私は混合育児を行なっています。母乳→粉ミルクです。
ですが味の違いが分かるようになってきたためか、粉ミルクを飲ませようとしても全然飲まない日々が続いていてとてもストレスでした…
30分ぐずるのは当たり前。
大汗かいて泣きじゃくって哺乳瓶を手で避ける娘。
母乳を飲んだ後スケールで測っても、70とか80しか飲んでない…(2〜3ヶ月の一度の授乳の目安は、150mlとか)
なので、なんとか粉ミルクで不足分を補おうとして夫と共に戦う週末。
まず乳首を変えました。3ヶ月目から使用するタイプのもの。しかし変えても変化なし。
次に口にスプーンでちょっとずつちょっとずつ入れてみた。
飲んではいるけど、10ml飲むのに5回はすくわなきゃならない。。これは果てしなさ過ぎる。。。
次に、娘は何か物を掴んでいると落ち着くみたいで、うまく粉ミルクを飲めるときはいつも哺乳瓶を両手で上手に抑えていました。
だから、これも3ヶ月目から使用推奨されてる、マグマグの取っ手が付いてるやつで自分で握って飲めるものを購入。
結論まだうまく掴めなくて意味がない。。
温め直しをしたり、抱っこする向きを変えたり、本当にありとあらゆる方法を試みたが一向に泣きっぱなし、、、
こうなるともうお手上げでどうしていいかわからない。思わず母親に相談。
言われるアドバイスなんて予想できていた。母親がいつも言うのは決まって、
「お腹が空けばちゃんと泣くんだから、好きなタイミングで飲ませてあげなさい。キッチリ3〜4時間おきにあげる必要なんてない。」
私は助産師さんに
「赤ちゃんはリズムがまだ掴めないから、寝てても叩き起こして、時間をきっちり測って授乳してください!」
と怒られたので、それがトラウマになってるのか、ちゃんときっちり飲まないと気が済まなくなっていたのだ。
だから母親の「好きなタイミングで飲ませてあげる」という感覚が許せなかったし、それをやってしまうと、夜中も関係なく好きなタイミングで泣いてしまうようになることが怖かった。
しかし一向に飲みたくないギャン泣きをする娘に若干イライラもしながら、
もうわかった!飲まないのね!
お腹空いても知らないからね!
と言い放ち少し放置。
するとそのたった1時間後くらいに今度は自分から泣き始めて、哺乳瓶を口にくわえると、
なんということでしょう…!
ぐびぐびめちゃ飲むじゃない!!!!!
はい。ということで結局は、授乳と授乳の感覚が短くてお腹が空いていなかったのです。
それから私は少なくともミルクは4時間はあけて、それ以外でぐずる時は必ずおっぱいを飲ませることにしました。
それからは最低4時間空けることによって、ぐずることもなく、「お腹空いたよー」のちょい泣きだけで済むようになりました。
完全母乳で育児をすることにこだわらなくていいと思うし、混合でも完全ミルク育児でも、
栄養はとれる。それに母乳育児だけが愛情交換な訳でもないし。
そう思うと苦しみから解放されたのである。