Vol.6 粉ミルク断固拒否!
娘も間もなく2ヶ月半。
来月からは保育園の申し込みも始まるし、
あっという間になんだかんだでバタバタして今年も終わりそう。
日に日に成長する娘。
体重はもちろんのこと、宇宙語で会話ができるように。
そしてとにかくニコニコ笑顔を絶やさない。
あー幸せ
という気持ちの一方で、最近頭を悩ませていることが。
それが、タイトルの通り、
粉ミルクをとにかく拒絶するようになってしまったことだ。
母乳がそこまで大量に分泌できないので、
混合で今までうまくやってきた自分ですが、
ここ最近母乳の後粉ミルクをあげようとしても、だだこねて泣きじゃくって哺乳瓶を手でどかして、とにかく反抗する。
母乳をどれくらい飲んだか毎回毎回体重計に乗せているのですが、圧倒的に足りていない。。
一度に150〜200mlくらいはあげなきゃいけないのに、50〜80くらいしか母乳が出ない。
だから粉ミルクを足すのですが、全く受け付けようとしないのです。。
これはおそらく娘の味覚が発達してきて味の違いがわかってきたから。
だからまたおっぱいを吸わせるとぐびぐび吸うし、そーっと哺乳瓶に差し替えようとすると大泣きしてしまう。
困った困った…
粉ミルクであげることのメリットはたくさんある。今後のライフスタイルを考えると保育園に預けたりする際は絶対哺乳瓶で飲まないと無理だし、夫が週末育児参加する時なんかはマストだから。
なのに粉ミルクも哺乳瓶も拒絶されたら、どうすればいいのさー
という悩みとイライラと、
母乳がたくさん出ないことのストレスと悲しみとで、もう嫌になっちゃうんです。
混合で子育てしてるお母さんと仲良くなりたい!!切実に…
なんか悩み相談のような内容になっちゃった。
Vol.5 おっぱいと粉ミルク
生後2ヶ月になり、体重もぐんぐん増えて、
話しかけるとニコニコよく笑うようになってきた。声も大きく出るようになって、
あーぐー
というのが機嫌がいい時。
えーん、わーん
みたいなのが怒ったり泣いてる時。
毎日色んな変化が起こっていて、観ているのがとても楽しい。
今日は生まれてから最も手がかかる授乳について書こうと思う。
授乳の仕方は人それぞれだから、一概にこのやり方がいいとは言えないけど、1番推奨されているのがやっぱり母乳育児。
母乳は粉ミルクに比べて子供の免疫力アップに繋がったり、子供とのスキンシップやコミュニケーション、更には出産後の子宮を早く元の大きさまで戻してくれたりと…書き切れないくらい良い効果ばかりなのだ。
生まれて間もない頃は一回にあげる量が40とか50とか、100ml未満の日が続くので、結構分泌がしっかりされていれば母乳だけでいけてしまう。
しかし、どんどん日が経つにつれて、
飲ませなければいけない量が増えていって、
一度の授乳量が100〜150ml×1日7〜8回とかってなると、そこまで毎回毎回分泌がよい方が珍しいんじゃないだろうか。いわゆる混合というやり方で、足りない分は粉ミルクで補うことに。
母乳が全く出ないという場合は完全ミルクになる。
私は妊娠中めちゃくちゃおっぱいを揉みまくっていたのでかなり分泌が良く、助産師さんに入院中つねられると、シャワーのようにビタビタと溢れていた。今もそう。
もう余裕じゃん!粉ミルクいらないじゃん!
と思っていたが、おっぱいを10分ずつ左右両方たっぷりあげたと思いきや、1時間もしないで泣き始める…
あれー、あげたばっかりなのになぁ
と思いながらもまたおっぱい。
そこから、安心して寝たかと思うとまたぐずり始める…という寝れない&休めないループが産後2週間は続いた。
完母(完全母乳の略)で育てることが真の愛情?
みたいな幻想が当時は私を支配していたので、どんだけ眠くても頑張って母乳あげねば
と歯を食いしばって睡魔と疲労と闘った。
しかしその結果、産後は免疫力も低下するためか、風邪をひいてしまい、その後全身謎の蕁麻疹が出てしまい、そして足首からつまさきまでがビリビリ痺れるという、悪循環。
身体の調子が悪いからか、分泌も悪くなって、それでも手伝いに来てる親に、
「おっぱいorミルク足りないんじゃない?」といわれ、とーってもストレスで、そしてとても傷ついた。
そこで助産師さんに思わず電話で相談。
あのー、頑張って母乳あげてるんですが、
足りてないのかずっと泣きっぱなしで、
あと…私の体調も悪いのか全身蕁麻疹が出てしまって。。
「体重は増えてますか?」
と聞かれ体重を伝えると、
「お母さん、体重少し足りてないようなので、ミルク足してあげましょう。あとお母さんも疲れてると思うので、ミルクを大目にしてあげてもいいですよ。」
ということで、そこからは完全母乳にこだわらずミルクを足すことに。
特に寝る前と夜中は粉ミルクにすることで、
腹持ちがいいのか頻繁に夜泣きしなくなり、日中のぐずりも減り、私自身が寝れる時間も少しずつ増えていった。
母乳はぐずったら何度あげても大丈夫です。
ただ、粉ミルクはぐずる度にあげてはいけないので注意。3時間おきにおっぱいあげて、足りなければ粉ミルクあげる、というサイクルです。
母親世代には、
ぐずったらお腹空いてるんだから、ミルクあげたらいいじゃない
という人が居ますが(私の母親もそうでした、だから意見がぶつかってよくバトってました。。)それをやってしまうと、赤ちゃんの時計のリズムが崩れてしまって、好きな時に好きなだけ飲めると学習してしまいます。
夜中にそれをやられる方がしんどいので、
できるだけ時間をしっかり計り、ぐずったらおっぱいをあげるか、あやすかして下さい。
みんなそれぞれやり方やこだわりがあるとは思います。だけど本当に大事なことは、子供が成長曲線に近くなるように(母子手帳にのってるやつ)体重が増えていくことだと個人的には考えてます。
だから、おっぱい足りなければミルク足す、お母さんの身体の調子悪ければミルクメインでいく、でいいと思います。
ただ最近の悩みが、生まれたばかりの産後2週間くらいまでは、満腹中枢や内臓の発達が追いついてなく、あとは味の違いがそこまでわからないので、粉ミルクを100〜120mlとか普通に飲んでくれていたのですが、最近は味の違いがわかるのか、母乳を飲んだあと粉ミルクを飲ませようとするとグズって大泣きして、まるで
「こんなの飲ませんじゃねーよ!バカヤロー」
と言わんばかりに激怒。。
だから体重の増えもゆるやかに…飲む総量も少なくなってきてます。。
さらに良くないことに、義母には
「顎の力が弱くなるから母乳でちゃんとあげなきゃ!ミルクはあくまでも代替品よ!」
と言われ、そこから母乳を大目で頑張ってきたけど、圧倒的に供給量が少ない…。。ミルクを足すが哺乳瓶を右手で阻止。。
もっと母乳出せやー!!!
そんな風に娘は思っているのでしょうか。。
色々書いたけど、やっぱり赤ちゃんにとって1番は母乳なのでしょう。
母乳を沢山出すためにも頑張って母ちゃんは健康的な食事を心がけます。
でも娘氏、粉ミルクのことあんまり嫌いにならないでね…!!
Vol.4 ワンオペ育児、家事開始、オキシトシンの脅威
あっという間に9月も終わり10月に突入。
娘も明後日で2ヶ月。
ベランダで外気浴をしたり、週末は数時間家族3人でお出かけしたり。もう少しで予防接種もできるから、それが終わったらやっと一緒に平日もお出かけできるね。
少しずつ心の余裕ができて、育児の楽しさや家族で過ごすことの喜びや充実感を感じれるようになってきた。
贅沢しなくても、特別なにか買い物しなくても、お家で娘を旦那と共にあやして沢山遊んであげて、手作りご飯を食べて、DVDを観ながらソファに座って3人で過ごす週末。
とても幸せな時間。心が満たされていく。
しかしここまで来るのが大変だったし、
正直やはり平日は気持ちも不安定になる。
自分だけじゃないと思うけど、かなり沢山のママ達が、仕事で帰りが遅い夫に対しての不満、そしてほぼワンオペ育児になって周りに頼る人が少ない現状に、不安とストレスを感じているのではないだろうか。
掃除、洗濯、ご飯作り これだけだったら余裕。
その間に、子供のオムツ変え→おっぱい→ミルク→ゲップ→機嫌悪ければプレイネストで遊ぶ→寝たいのに寝れないグズリ
このループが1日6〜7回。
一息つく暇もなくあっという間に1日終わってしまう。
そんな状態で余裕がないから、毎日真夜中に帰ってくる夫に対して、家族のために頑張って働いてくれているのは頭では分かっているのに、どうしても毎回強く当たってブチ切れてしまう自分にも嫌気がさす。
子供の世話をすることにイライラしたりはしない。絶対的な、無償の愛情を注ぐことができる。一方で夫には、
なんでこんなに遅いわけ
残業時間あと何時間残ってるのよ
平日は戦力外、マジで使えないほんとに
などという、棘しかない言葉が次から次へと出てくる、かわいそうに…←
ごめんよ旦那よ、これはきっとオキシトシンのせいだから。ホルモンバランスの乱れです
と心の中で少し思いながら過ごしている。
オキシトシンとは、愛情ホルモンのことで、
母乳をあげることによってより多く分泌されるそう。
しかしこの愛情ホルモンは同時に、敵対心や警戒心、そして攻撃力などを強める効果もあるようで、それが夫に強く当たってしまう原因だそう。(NHKの特集でやってた内容)
不満や不安になる要素は旦那だけではない。
初めての育児、分からないことが沢山ある、
誰かに頼りたい、だけどどこに行って誰に打ち明ければいいのだこの疑問や不安を…
という「たった1人で戦っている」感がさらなるストレスに繋がっていくのだ。
これもNHKの特集でやってた内容だけど、
本来育児はみんなで育てるもの、協力し合うもの、である。
とあるアフリカの部族は今だに、実のお母さんがお出かけするなら隣のおばさんが様子を見たり、更には母乳まであげたりなど、日本では考えられない協同が存在している。
そこまでやれとは言わないし多分今のご時世無理なことだから求めもしない。だけど、同じ悩みや不安や疑問をすぐ共有できて、共感してくれて、今自分がやってることに対してアドバイスをくれたり、新しい視座を与えてくれる存在というか居場所というか…そういう「みんなで関わる育児」みたいなものが身近に必要なんじゃないかと強く感じる今日この頃なわけです。
核家族化が進んで、頼れる両親も近くにいない、ママ友もなかなか会えない、というかママ友という存在と出会える機会がない…などなど。子供とお出かけできるようになれば、自分から機会を取りに行くことができる。今はそういうイベントとかお母さん達が集まれる場所がたくさんあるし。
だけど、予防接種もまだ受けていない、産後1ヶ月経っていない…などなど、1番精神的に不安定な産後3ヶ月くらいまでが、外界との接触が極端に少ないんじゃないかと思うし、もっと色んなサポートを受けたいとも思う時期なんだと感じる。
今はまだまだ育児・家族状況は赤字運営。
だけど、もう少ししたらきっと黒字に変わるはず。そう信じて睡魔と戦いながら今日もがんばります。
Vol.3 退院、育児開始、とにかくしんどい産後の暮らし
9月ももう終わってしまいますね。
窓を開けるとキンモクセイのいい匂い。
子供とベランダで10分くらい景色を楽しむ今日この頃。やっとこんな風に子供とリラックスできる日がきて嬉しい。我が家からは富士山が綺麗に見えます。
退院して新居に引っ越してきたのが8月8日。
住み始めということでどこに何があるか分からない状態だし、何をするにも傷口は痛むし、とにかく眠過ぎだし、義母が数日間泊まり込みでお手伝いに来てくれるということで気遣いはするし、その後は自分の両親と叔母と犬が手伝いにやってきてくれるし、、
産後身の回りにサポートしてくれる人が沢山いるということはとても有難いことではあったが、肉体的にも精神的にもとにかくしんどい時期だったなと今改めて思う。
1番ストレスだったのは、両家母親の意見や考えの違い、助産師や医者の言う事と母親が言うことの違いなどに翻弄されたこと。
新米ママは何を信じていいか分からないから、とりあえず絶対的な存在である助産師さんの意見が絶対だと思い込んでしまう。というかそれが普通だと思う。だってプロだから。
でも自宅に戻ると、色々アドバイスしてくれるのは有難いが、「お母さんの時はこうだったよ」「経験者の言葉に耳を傾けなさい」そう説得されて色々と監視されるのが非常にストレスだった。
とにかく最初の1ヶ月だけだ、頑張って我慢して耐え抜こう
そう何度も自分に言い聞かせたが、やっぱり母親とぶつかることも何度もあったしイライラして泣いたこともあった。
でも身体はボロボロだし、眠いし、自分のこともまともに出来ない。おっぱいミルクあげて子供の面倒見るのが限界。炊事洗濯など一切できず、ご飯も三食作って貰ってるから文句も言えない。何か意見しようとすると、「誰に向かって言ってるんだ」と言われるのが嫌で逆らうこともできず。私が里帰りすれば良かったかもしれないが引っ越しもあったので出来ず、親にはるばる福島から来て貰ったから、両親にも相当ストレス与えてしまったと反省はしている。それでも親というものはやはり偉大で、無償の愛なんだよなぁ、ご飯作って孫の面倒も見て買い出しにもクソ暑い中汗だくで行ってくれて。イライラが止まらなかったけど、それでも身の回りのことを全部何から何までやってもらえたのは本当に有り難かった。というか1人目でこんな苦労してるのに、2人目産まれるとかなったら…と想像すると恐ろしい。。。いやいやまだ先の話だから一旦忘れよう。
そんなこんなで眠気と体力の限界と戦う日々があっという間に過ぎていった。
ところで、子供は夜泣きが酷いのは何でか知ってますか。NHKの特集か何かで見たのだが、お母さんのお腹にいる時に活発に活動するのが夜中だったから。何故夜中なのかというと、お母さんが寝てる間が1番体力を消耗しないから。子供は本当に頭が良い、お母さんを思いやって夜中元気で居てくれるというわけだ。
そりゃあ10ヶ月も腹の中に居ていきなり外の世界に出てきて混乱もするし、すぐ生活リズムを整えてって言われてもできないよね。
だから夜泣くんです。
おっぱい欲しいだけじゃなくて、とにかく不安だし、泣くのは元気な証拠。
そう頭では分かっていたものの、実際はそれはもうしんどくて。何をしても泣いてぐずられてしまって、何度も何度も溜め息。寝かしつけに1時間半〜2時間かかって、その後1時間寝れたと思ったらまた泣き出して起こされる。
そんな昼夜逆転の日々が2週間続いた頃、転機が訪れた。
それは旦那の両親が久々(といっても2週間経ってないくらい)に遊びに来てくれた時。
スヤスヤ寝てる娘をわざわざ起こして写真を撮ったりあやしたりする義父。
さっき寝たばっかなのに何で起こすんだよ!!!マジで迷惑ホント。。。こっちは眠いんだよ、寝かせてくれよ。
そう心の中でキレていた私。
娘も眠そうにしながら、なんとか起きておじいちゃんに抱っこされ、笑顔を振りまく。
そうして写真撮影会がかれこれ2時間くらい続き、やっと夕方お帰りになった。
あー、マジでしんどい。貴重なお昼寝の時間が…
そう思ってその後もウトウトしながらいつも通りに過ごして夜を迎えた。
するとなんと、
いつもは2時間弱かかっていた寝かしつけ。
あれだけ苦労して夜泣きと戦っていたのに、スーッと寝てくれた!!!
娘は日中沢山遊んで疲れて夜ぐっすり寝てくれたのでした、なんとまぁお利口さん。
この日から日中どんだけ眠くても、15時くらいからは起こして遊んであげるようにしたところ、夜ぐずらないようになり、私も寝る時間が少しずつ増えていった。
産後3週間くらいからは少しずつ家事も再開し、雑巾掛けやったり料理作ったり、引き続き一歩も外に出ない日々が殆どだったけど、通常の暮らしが出来つつあることに充実感も感じつつあった。
そんなこんなであっという間に1ヶ月健診を迎えた。
「お子さん順調に大きくなってますね、お肌も綺麗です」
「お母さんの子宮も傷口もとても良く治って来てます。もうこれで出産とは蹴りをつけて、通常の暮らしをしてください」
そう言われてとてもホッとした。
子供のことで心配事は沢山あった、例えば
・顔に赤いボツボツができている(後になって分かったけどこれはミルクを変えたせい)
・ゲップがなかなか出ない
・お尻がかぶれて赤くただれている
などなど。
助産師さんは丁寧に答えてくれた、そして何度も言われたのが
「お母さんそんなに神経質にならないでください、大丈夫です」という言葉。
人と比較しない。我が子は我が子
そう最初は思っていたけど、やっぱり初めての育児は心細くて色んな情報に翻弄されて何を信じていいか分からない。
みんな一般的にはこうやっている
という絶対的な答えが欲しくて正解を探しがちだが、もっと大きくどーんと構えなきゃいけないんだな
と思った瞬間でもありました。とはいえ引き続き色々助産師さんに電話で色々相談することもあるけど。
台風のように大勢での暮らしがあっという間に過ぎ、1ヶ月と少し経った頃、親は福島に帰って行きました。
これからワンオペで育児できるのだろうか
ご飯作りなんてできるのだろうか、餓死するのでは…
という不安が込み上げて、送り出す時は号泣してしまった。きっとこれもホルモンバランスの乱れ…と思いたかったが、本当にこの時は不安で不安で仕方なかった。
だけどやらねば!
みんな子供育てて来てるんだから大丈夫、頼れる人に頼ろう
そう自分に言い聞かせ、その日の夜早速肉じゃがと味噌汁を作って食べたのが懐かしい。
冷蔵庫には親が作っていってくれたおかずが沢山。
あー、なんだかんだ衝突したことも多かったけど本当に感謝感謝だな
習うより慣れろ
と言いますが、もう自分なりにやっていくしかないわけで、やっと今少しずつ自分のペースで育児ができて、楽しむことができている。
かあちゃんにしてもらったことに感謝だし、かあちゃんになると何でもできる気がするわ。
さーて朝の授乳タイムがやってきた。頑張りまーす。
Vol.2 何で泣くのかな?育児奮闘、初めての母子同室
可愛い可愛い娘ちゃん。
どうしてあなたは泣くのかな?
お腹が空いた?眠い?暑い?うんち?おしっこ?抱っこしてほしい?
答えは大抵この中にあります。
もうそろそろ2ヶ月経つ今、ようやく娘との息もぴったり、なんで泣いてるのかなんとなーく分かるようになってきたけど、新生児の時はなんで泣き続けるのか、おっぱい飲んでもぐずってるのかわからなくて、こっちも泣きたい気分だった。というか泣いた。
帝王切開だったため、傷口が痛くて歩けないし、出血量が多かったからか術後は貧血気味で、起き上がろうとするだけでクラクラして気持ち悪くなる始末。そんな状態で娘を連れてこられても抱っこすることもままならず、腕におくのがやっと。
生後2日目から助産師さんに、「そろそろお母さんのおっぱい飲ませてあげて」と言われ娘に差し出すと、まぁ不思議。目は開いてないのにどこにおっぱいがあるのか分かるみたい。ちゅうちゅう吸ってくれました。吸い方も吸わせ方もまだお互い下手くそだから、私の乳首はかじられてかさぶたもできて血が滲んで痛くて死にそう。だけど幸せな気分。でもフラフラな私は1時間くらい娘と二人きりの時間を楽しんでお別れした。そろそろ母子同室が始まり夜も一緒に過ごすことになるけど、こんな状態で育児ができるのか…とてもとても不安だった。でも私ならできる!と思ってた自分もいた。
恐れていた母子同室は生後3日目の夜から始まった。夕方頃ナースステーションから連れてこられ、一通りオムツの変え方、調乳の仕方、ミルクの上げ方、おひな巻きの仕方など教えてもらった。
よーし!と気合十分。私自身も3日目から強制的におしっこの管を抜かれ、歩かざるを得ない状態になり、お腹の猛烈な痛みに耐えながら少しずつ動き始めた。満床のこの病院はまた部屋移動を依頼してきて、大量の荷物と娘を連れてお引越しも実施。どんだけ部屋変わるんだよ、もう5箇所目だぞ。
そんなこんなで夜を迎え、
「今のところ順調だぞ。あれ、意外とご機嫌だし夜もこのままいけるかしら」
そんな余裕をぶっこいたのが間違いでした。
そもそも赤ちゃんって勝手に3時間おきに泣いて起こしてくれると思ってたら大間違い。
泣いたらミルクあげればいいんだよね?
いえいえ違いました。うちの娘はあまり腹減ったギャン泣きをしないので5時間とかぶっ続けで寝てくれてました。だから起こさないでそーっとしておいたら助産師さんがやってきて、
「前回が15時におっぱいでしょ。もう19時半じゃない!!時間あけすぎ!赤ちゃんはまだ時間のリズムがないから、こっちが寝てても叩き起こしてミルク飲ませなきゃいけないのよ!」と怒られる。
ええー、そうなのー
ということで3時間おきにアラーム設定。
おっぱいミルク飲んですぐ寝てくれるのかと思いきや、まずは30分前から叩き起こす、起きないからオムツ変えて起こす。次におっぱい、足りないからミルク、その後げっぷ。
順調にいけばそのまま寝れるけど、ここからが本当の戦い。なぜかぐずり続ける。なんで?もう満足したはずなのになんでなんで?
夜の初めての母子同室の続きに戻りますが、
23時にたっぷりミルクを飲んで満足したのでスヤスヤ寝てくれたのですが、夜中の1時にふんふん言い始めて、「え?早くない?まだ3時間経たないし…というかげっぷ&寝かしつけに1時間かかったから、私が寝たのは1時間か…眠すぎる」と思いながらとりあえずおっぱい。しかしおっぱいでもない。その後あまり汚れてないオムツを交換。あれ?泣き止まない…色々あやしてみたけど全然泣き止む気配がない。寝ない。気づけば3時。
あー、なんでなんで、どうして?夕方はあんなに寝てくれたのに、なんで今になってこんな騒ぐのだ…
一回一回起きたり抱っこする度にお腹の傷が死ぬほど痛くて、寝てないからフラフラで、もう体力の限界。
「お母さん、初めての母子同室ですが無理しないで預けてもらっていいですからね」
そんなこと言われたけど、母親なんだからしっかりしなきゃ!明日からもこの子との生活が始まるんだから、今ここで踏ん張らねば
そう強気になってたけどもう限界。時刻は3時半を過ぎようとしていた時、思わずナースコール。
すみません、おっぱいもミルクもあげてげっぷもしてオムツも綺麗です。だけどずーっと泣いてて、どうしていいか分かりません。なんで泣いてるのでしょうか…
そんなこんなで、最終的に助産師さんに娘を預けた。涙が止まらなかった。号泣して息が出来ない。ただただ、何もかも分からないことがとても不安だった。明日からもこんな感じなのか?ちゃんと母親が務まるのか?
今思えば完全にホルモンバランスが乱れていたせいだが、号泣して鼻水ダラダラで、思わず旦那に電話をしてしまう始末。何が悲しくて泣いてるのかも分からないしうまく話せないから、旦那は娘が死んだのかと思ったと言ってた。
「大丈夫だよ、よっちゃん悪くないし初めての育児なんだから分からないことだらけだよ。みんな最初から出来たら逆にすごいよ。ちゃんと寝な、頼れる人頼りな。」
と言われやっと落ち着いた。
そこから死んだように寝続けた。
気がつけば朝。助産師さんに起こされる。
「お母さん、まだ赤ちゃんスヤスヤ寝てるし、お母さんも疲れているだろうから午前中いっぱいは預かりますね」
また私は深い眠りについた。
その日の午後からまた娘がやってきた。
今晩こそは一緒に朝まで寝ようね。
そう約束して私は少しずつ入院生活での育児に慣れていったのである。
全部やろうとしない、人を頼る、休めるときにちゃんと休む、最初から全部できる人なんていない
なんだか育児って仕事と似てるなぁって思ったし、こうやって母親として、そして人として益々成長していくんだな
と思った。
母親は本当に偉大です。こんな大変なことをみんな先祖代々、そして世の中のお母様は実践してるのかと思ったらマジで泣けてくる。
よーし、私も無理しないでゆるゆると頑張るぞ。
Vol.1 第一子誕生、ようこそこの世界へ。
あっという間に生後55日。もう少しで2ヶ月。
産まれるまでは1日1日がすごく長く感じられて、いつ産まれて来るのかソワソワして過ごしてた。でも産まれたら本当にあっという間。
まだ2ヶ月経ってないけどもう1年くらい一緒にいる感覚。不思議なもんだ。
今愛娘は横でスヤスヤ気持ちよさそうに寝てる。やっと最近心の余裕が出て来たから、出産や初めての育児を振り返って言葉にしておこう。じゃないと忘れてしまうから。本当はお洒落なカフェでコーヒーでも飲みながらパソコンでブログ書きたいと思ってたけど、娘が寝てる間に自分は布団の中で静かにスマホで活動するしかなさそう涙。。
今日は一旦出産レポから。
娘の出産予定日は7月21日だった。初産だから遅れるとは聞いてたけど待てど暮らせど陣痛もこないし破水もない。陣痛ジンクスってのを信じて色々試した。スクワット、雑巾掛け、散歩、踏み台昇降運動、焼肉食べるなどなど。。でもこない!!遅れに遅れ41週突入。先生から「計画分娩でいきましょう」と言われ8月1日から入院。あー、自然分娩が良かったのにと思いながら陣痛促進剤を打たれ始める。私が選んだ産院は綺麗でご飯も美味しいし全部個室ということもあり少し高いけどかなり人気。なので時期が悪かったのか満床が続いていて、「スムーズにいけば1日早く退院してもらいます」なんて言われてた。だから緊急度が低い妊婦の扱いが酷くて。綺麗な個室に入れたかと思ってテンション上がったらすぐ「すみません、移動して頂きたいのですが…」となり、まさかの分娩室に移動。フワフワのベッドも無いしソファもないし冷蔵庫もない…固ーい分娩台の上でまさか丸々2日過ごすとは思わなかったし、促進剤のおかげで陣痛も来てたから本当に精神的にもしんどかった。一番しんどかったのは子宮口に入れたバルーン。。1度目のバルーンは余裕だった。なかなか私の子宮口は固く開きが悪いようで2回目のバルーンを投入。これが出産の中で一番しんどい地獄のような瞬間だった。一回でスッと入れればいいものをなかなか入らず、一番でかいバルーンを大きな器具を使ってグリグリ膣の奥にグリグリグリグリズコズコ入れていく…これが悶絶。声も出ないひたすら涙が出るくらい痛くて意識が朦朧とした。これで子宮口開かなかったらマジで横綱レベルだわって思って2日目の夜を過ごした。しかし陣痛も来てお腹も定期的に張ってきてるのに結局何も起こらない。娘は産まれたくないのだろうか?そんなことも考えて次の日のお昼、ジャッジは意外と早かった。「陣痛促進剤をマックス使い切って、もうこれ以上は使えません。子宮口も4センチしか開いてなくてこれ以上やっても6センチとかにしかならないと思う。お母さんの体力もこれ以上は厳しそうだから、帝王切開にします」
チーン…。。。。
自分が帝王切開で生まれてきて、母親からお腹を切る痛みを何度も聞いてたから、帝王切開だけは避けたかったのに。。。あーあ…と思いながら早々と手術の準備は進んでいき、あっという間に手術台へ。その時助産師さんが言ってたけど、世界の医療法?みたいなので、陣痛促進剤が使える量ってのが法律で決められてるみたい。だから下手に投与し過ぎて何か問題でも起こったら先生が困るらしい。まぁ、それ聞いたら諦めるしかないね。。
産まれて初めての手術、怖くて不安でそれなのにテキパキ進んでいくから思わず涙が出た。旦那が見送ってくれたのが逆に心細くて。コウノドリのドラマ観てたから変に緊張した、死んだらどうしようとか考えてしまった。麻酔をうち始めたのだが、ここで更に恐ろしい出来事が。背中に麻酔を打ったのに全然麻酔が効かない。つねってるのわかる?ってめちゃつねられて痛いのなんの。その後強めの麻酔をもう一本。それでもまだ効かない…しまいにはお腹に直接ぶっといの一本。これでもか!!!効かない!!!どんな身体してんのよ本当。最後には意識がなくなるような麻酔を鼻から入れられて30秒くらいで意識がなくなった、と言いたいところだが音は聞こえて、お腹とか触られている感覚はある。だけど夢を見てるような優待離脱してるみたいな感覚。とても不思議でとっても気持ち悪かった。頭の中がぐるぐるして、自分が手術を受けている夢を見てる感じ。あー、これは死んだな私やりたいことまだまだあったのに。鰻も食べたかったなー、あーめちゃ鰻食べたいとか思ってたら、その瞬間は訪れた…
オギャー!
お母さん産まれましたよ!!
でも私は目を開けられないしこれは夢??
とにかく自分のことなのか夢なのかよくわからない感じで進んでいって、頭の中で渦が巻いて、「はいお母さん頑張ったね、終わったよ」という言葉が遠くから聞こえて、その瞬間私の頭?夢の中でパズルのピースがぴたっとはまった。目をずっと開けられなくて、手術が終わったのは分かったのだが、すぐ気持ち悪くなり何度も無意識にリバース。。「あー!吐いちゃってる吐いちゃってる!」とざわめく室内。助産師さん達がワタワタしてるのがわかる。もうどうにもこうにも通常運転できず吐いたまま病室に運ばれる。。
そんなこんなで産まれた娘を見ることなく個室に運ばれ、
「よっちゃん頑張ったね」と入ってきた旦那を見てやっと終わったんだと気づいた。ホッとして涙がポロポロこぼれ、そこから私は1時間くらい深い眠りについた。
娘がその後助産師さんによって運ばれてきて、私の腕の中に。
よく頑張ったね本当によく来てくれました。
ずーっと会いたかったよ!!
41週6日目でギリギリで生まれてきてくれた娘は、とても大きく髪の毛もフサフサで、私に似たムチムチな身体でした。愛おしいってこういう感情なんだな。全力で自分を信じて頼ってくれる存在。守ってあげよう全力で。幸せにしよう全力で。
そう誓った瞬間でした。
最終的に理想の出産とはならなかったけど、どんなお産も立派だし、本当に人によってお産のあり方はバラバラだし、最後の最後まで何が起こるか分からないなぁと学びました。
母親にしてくれてありがとう。
これからよろしくね。